
REGGAE & BLUES
解決!
じゃあなリスト
— 間違いそうなフォロワー選び —
フォロワー5,000人超えから150人へ。笑えて、ちょっぴり切なくて、最後は優しい、人生後半のつながり整理術。
ORIGINAL SONG
♫ じゃあなリストブルース
Reggae & Blues Style
再生・ミュート・停止は上のピルボタンでも操作できます。音量はiPhone本体の音量ボタンで調整してください。
LYRIC CARD
♫ じゃあなリストブルース
(Reggae & Blues Style)
(Intro Spoken)
昔はさ
フォロワー増えるたびに
少しだけ
人気者になった気がしてたんだ
でもある夜
スマホの灯り見ながら
思ったのさ
「……俺、
何やってんだろう?」ってね
(Verse 1)
5000人超えの フォロワー
画面の中で 大渋滞
いいねも無けりゃ
コメントも無い
深夜列車が 通り過ぎる
昔の仲間に 申請送って
著名人にも 背伸びして
フォローバックで
舞い上がっても
それっきりなのさ SNS
(Hook)
じゃあな
じゃあな、
静かに指を滑らせる
じゃあな
じゃあな、
人生整理のブルースさ
(Verse 2)
会ったことない みなさんへ
悪いけれども じゃあなです
コメント欄で マウント祭り
それもちょっぴり 疲れたよ
音信不通の 旧友たち
元気ならまあ それでいい
返事の来ない 手紙みたいに
夜風へ消えた フォロワーたち
(Hook)
じゃあな
じゃあな、
人間関係 断捨離さ
じゃあな
じゃあな、
呼吸を戻す レゲエブルース
(Bridge)
だけどどうしても、
切れない人もいる
昔々の
ガールフレンド、たち
投稿ひとつで、
甘酸っぱい
青春だけは
整理、できないのさ
(Verse 3)
気づけば残った 150人
顔が浮かぶよ 笑い声
「あいつならきっと
笑うだろ」
そんな誰かへ 歌いたい
数字じゃないのさ
輪郭なんだ
ちゃんと見てる
気配なんだ
それだけあれば
まだまだ俺は
何か作れそうなんだ
(Last Hook)
じゃあな
じゃあな、
またどこかで 会えたなら
じゃあな
じゃあな、
今までどうも ありがとう
(Outro Spoken)
……あれ?
見えなくなっちゃったぞ?
そんな皆さんへ
もう一度だけ
「じゃあな!」
目次
タップすると、各章の冒頭へ進みます。
『解決!じゃあなリスト』
— 間違いそうなフォロワー選び —
アバウト佐々木|スマボン出版®︎
はじめに
私ごとだが、
昔の私は、
フォロワー数を増やすことに、
かなり熱くなっていた。
Facebookでは、
5,000人を超えていた。
通知。
申請。
いいね。
シェア。
数字が伸びるたび、
少しだけ、
自分が世の中に必要とされている気がした。
もちろん、
あの頃の熱狂を、
全部否定するつもりはない。
実際、
SNSによって、
出会えた人たちも沢山いた。
救われた夜だってあった。
けれど、
ある頃から、
別の疑問が湧き上がってきた。
私は、
SNSで、
何をしたかったのだろう、と。
有名になりたかったのか。
認められたかったのか。
寂しかったのか。
誰かに見つけて欲しかったのか。
しばらく考えて、
辿り着いた答えは、
案外シンプルだった。
私はたぶん、
私が私であり続けるために、
投稿していたのだ。
クリエイティブの記録。
思考の断片。
その時々の熱。
自分の中に生まれたものを、
消えないように、
置いていた。
……などと言うと、
少しカッコ良すぎるかもしれない。
早い話が、
自分を見失わないための、
備忘録だったのである。
私のインターネット歴は、
それなりに古い。
気がつけば、
もう40年近くになる。
パソコン通信。
ホームページ。
ブログ。
SNS。
そして今のAI時代まで。
インターネットは、
ずいぶん姿を変えた。
もちろん私も、
その流れの中にいた。
昔からの知人。
業界関係者。
一度会った人。
何となく気が合った人。
私は、
かなり手当たり次第に、
フォロワー申請をしていた時期がある。
だから、
私のSNSには、
“付き合いのフォロワー”
も、
相当数いたはずだ。
もちろん、
それを悪いことだとは思っていない。
あの頃は、
“繋がる”
ということ自体が、
新しかったのだ。
遠く離れた誰かと、
一瞬で会話できる。
昔の仲間と、
突然再会できる。
それは確かに、
小さな革命だった。
でも、何かが減っていった。
ただ、
その割にと言うべきか、
それに見合う反応は、
まず無い。
「いいね」も無ければ、
コメントに至っては、
ほぼ皆無である。
もちろん、
毎回拍手喝采を期待している訳ではない。
だが、
こちらとしては、
それなりに時間を使い、
それなりに熱を込めて投稿している。
にもかかわらず、
反応ゼロだと、
さすがに少し、
「あれ?」
とは思う。
いや、
かなり思う。
昔なら、
飲み屋で熱弁すれば、
最低でも誰か一人くらいは、
「へえ」
とか言ってくれたものだ。
しかしSNSは違う。
投稿は、
静かに流れていく。
まるで、
無人駅を通過する、
深夜列車みたいに。
気づけば私は、
普段の生活でも、
断捨離をしなければ、
息苦しさを感じる年頃になっていた。
若い頃は、
増やすことばかり考えていた。
モノ。
知り合い。
情報。
仕事。
そして、
フォロワー。
けれど、
いつの頃からだろう。
人は、
抱え込み過ぎると、
前へ進めなくなる。
いや、
前へ進む以前に、
呼吸そのものが苦しくなる。
SNSも、
少し似ている気がした。
増え続ける通知。
流れ続ける情報。
反応しきれない投稿。
追いきれない人間関係。
気づけば私は、
“繋がり”
の中で、
少し息切れしていたのかもしれない。
その夜、
私は部屋で、
スマホを眺めていた。
静かな夜だった。
いや、
静か過ぎる夜だった。
昔なら、
誰かから電話が鳴ったり、
急に飲みへ流れたり、
深夜ドライブが始まったりしたものだ。
だが今は、
部屋の中で、
スマホだけが白く光っている。
私は、
ぼんやりFacebookを開いた。
5,000人超。
改めて見ると、
なかなかの人数だった。
だが、
その数字を眺めながら、
私は妙な息苦しさを感じていた。
多過ぎる。
いや、
“繋がり”
として抱えるには、
少し多過ぎる気がしたのだ。
その時、
ふと思った。
「整理しよう。」
押し入れを片付けるみたいに。
古い雑誌を縛るみたいに。
一度、
人間関係の風通しを、
良くしてみようと思ったのである。
そして私は、
Facebookフォロワー大掃除計画のためのリストを作成した。
名前も付けた。
〈じゃあなリスト〉
である。
何だか、
昭和の刑事ドラマみたいな名前になった。
だが、
妙にしっくりきた。
まず、
一番先にリストへ上がったのは、
一度も会ったことのない人たちだった。
「じゃあな!」
もちろん、
乱暴に切り捨てたかった訳じゃない。
ただ、
今の私には、
“繋がっている人数”
が多過ぎたのだ。
次に、
〈じゃあなリスト〉へ入っていったのは、
ずっと友人だと思っていた人たちだった。
いや、
正確には、
“友人だと思い続けていた人”
かもしれない。
SNSでも、
音信不通。
こちらから声をかけても、
反応は無い。
だから私は、
静かに言った。
「じゃあな。」
さらに、
たまに私の記事へコメントをくれるけれど、
記事内容には一切触れず、
全部“自分の話”
に変えてしまう人たちもいた。
悪気は無いのだろう。
分かる。
分かるのだが、
毎回それだと、
こちらとしては、
少々ぐったりもする。
だから、
そんな時も、
私は静かに呟いた。
「……じゃあな。」
そして、
有名人や著名人たちも、
少しずつリストへ入っていった。
何となく、
“かっこつけ”
でフォローしただけの人たちだった。
向こうがフォローバックしてくれた瞬間だけ、
少し嬉しい。
だがその後、
特に交流は無い。
つまり、
“繋がった感”
だけが、
静かに残り続けていたのである。
私は、
そんなリストを見ながら、
少し笑ってしまった。
何を、
集めていたんだろうな、と。
150人になった日
……とまあ。
そんな感じで、
思いつくまま、
自分なりの基準を当てはめながら、
フォロワー整理を続けていった。
「じゃあな。」
「じゃあな。」
「じゃあな。」
まるで、
年末の大掃除で、
古い雑誌を縛っていくみたいだった。
すると、
ある時、
私は妙な数字に気づいた。
5,000人を超えていたフォロワーが、
気がつけば、
150人ほどになっていたのだ。
我ながら、
ちょっと極端だった。
いや、
かなり極端だった。
だが不思議なことに、
私はあまり後悔していなかった。
むしろ、
少し呼吸がしやすくなっていた。
画面の向こう側に、
ちゃんと“人”
がいる感じが、
戻ってきたのである。
残ったのは、
150人ほどだった。
数字だけ見れば、
ずいぶん減った。
けれど不思議なことに、
私の中には、
妙な安心感があった。
そして気づいた。
残った150人は、
一人ひとり、
ちゃんと顔が思い浮かぶ人たちだったのだ。
声も。
笑い方も。
会った時の空気も。
「ああ、
この人は、
こんな風に笑うんだよな。」
そんな記憶が、
ちゃんと残っていた。
それは、
単なるフォロワーではなく、
私の人生のどこかを、
実際に一緒に歩いてきた人たちだった。
そして、
そんな人たちが、
今もどこかで、
私の投稿を見てくれているのだと思うと、
不思議と、
クリエイティブにも熱が戻ってくる。
「ああ、
これ、
あの人なら笑ってくれるかもしれない。」
「この話、
あいつ好きそうだな。」
そんな風に、
誰かの顔を思い浮かべながら作る方が、
私にはずっと自然だった。
5,000人へ向けて投げる言葉より。
ちゃんと輪郭のある150人へ向けた言葉の方が、
なぜだか、
体温が宿るのである。
整理できなかった人たち
ただ、
そんな〈じゃあなリスト〉にも、
どうしても入れられなかった人が、
何人かいる。
昔々の、
ガールフレンドのみなさんだ。
音信は、
あったり無かったり。
何年も会っていない人もいる。
もう、
お互い別々の人生を生きている。
けれど、
なぜだか、
繋がっていてくれるだけで、
少し甘酸っぱいのである。
「ああ、
元気でやってるんだな。」
たまに投稿を見かけるだけで、
そんな風に思う。
別に、
ヨリを戻したい訳でもない。
恋が再燃する訳でもない。
ただ、
人生のどこかに、
“あの頃”
を知っている人が、
まだ存在している。
それだけで、
少し救われることがあるのだ。
だから、
そこだけは、
整理しきれなかった。
いや、
したくなかったのかもしれない。
人間関係って、
結局、
理屈だけでは整理できない。
だから面倒で。
だから愛おしい。
実際のところ、
今は、
150人から少しだけ増えてはいる。
けれど私は、
もう昔みたいに、
手当たり次第、
繋がろうとは思わなくなった。
数を集めることより。
ちゃんと顔が浮かぶこと。
ちゃんと声を思い出せること。
その方が、
今の私には、
ずっと大切だからだ。
もちろん、
これから先、
また新しい出会いもあるだろう。
面白い人とも、
沢山繋がるだろう。
けれど、
もう同じ過ちは、
繰り返さない気がしている。
そういう意味では、
あの大掃除は、
本当に良かった。
……ということで。
突然、
「あれ?
見えなくなっちゃったぞ?」
と、
首をかしげている皆さんへ。
もう一度だけ、
言わせていただこう。
「じゃあな!」
……いやいや。
本当は、
こう言いたいのかもしれない。
「今まで、
どうもありがとう。」